~祖母の背中と、唐古遺跡の風に誘われて~
🌕 満月が、夜空に浮かんでいた。
静かに、ただまるく、照らしている。
まるで、何かの始まりを見ているかのように。

前から、ひとりの人が歩いてきた。
街で有名な変わり者、クナドさん。
青や赤の服、ヘッドホン。どこか浮いていて、まるで別の時間を生きているような人。
「芸術は爆発だ!」
「恋も爆発。でも続けるには愛=調和がいる。つまり、結び方の問題だ。」
突然そんなことを言って、遠くを見つめてこう呟いた。
「ウズメ、待ってろよ」
──意味はわからないけど、なぜか印象に残っていた。
天狗:「撫子さーん!」
突然、声をかけられた。
振り返ると、そのクナドさんが、ニコニコしながら近づいてくる。
天狗:「おばあさんに頼まれてたんだよ。君が“叶え結び”を持って現れるって。」
撫子:「……拾っただけなんですけど。」
天狗:「でも、持ってるじゃろ?」
さっき拾った“叶え結び”が、手の中にあった。
なんで知ってるの、この人…。

天狗:「それを解くヒントがね――ニギハヤヒという存在にあるかもしれない。」
撫子:「ニギハヤヒ…?」
頭の奥で、聞き覚えのあるような、ないような名前がかすめる。
撫子:「で、どういうことなんですか?」
天狗:「それを知るために、旅をするんだよ。
きっと、答えはまだ“これから”見つかるものだからね。」
撫子:「えっ、今から!?」
天狗はおもむろに赤い服と天狗のお面を渡してきた。
天狗:「この服に着替えてね。」
撫子:「いや、ちょっと待って説明…!」
天狗:「ああ、そうそう、注意点。時間の“波”に巻き込まれるかも。」
撫子:「は!? 波って何!?」
天狗:「でも君なら大丈夫。おばあちゃんの孫だから。」
撫子:「おばあちゃんも…?」
天狗:「うん。何度か行ったよ。勘が鋭くてね、いい感覚してた。」
撫子:「(何者なんだこの人…)」
天狗:「ワシも結構キャリア長いし。6000年くらい?」
撫子:「(やっぱりおかしい)」
天狗:「じゃあ、行こうか。“おんぶ”で。」
撫子:「おんぶ?」
天狗:「そう、これが一番安定するんだ。
君も、おばあちゃんにおんぶしてもらったこと、あるだろ?」
一瞬、懐かしい感覚がよみがえる。
泣きながらしがみついた、あの夜。
祖母の背中の温もり。揺れる歩幅。
撫子:「……なんでそれを…」
天狗:「たしか15年前だったね。」
撫子:「(なぜそんなに正確に!?)」
天狗:「それから大事な決まりがある。
“素顔を見せないこと”。この天狗のお面を、必ずつけておくこと。」

撫子は、ふとスマホを取り出した。
行く場所も、帰ってこられるかどうかもわからない旅。
ほんの少しだけ、怖くなった。
ふと、祖母の番号が目に留まった。
もう繋がるはずのない番号。
けれど、なぜか押さずにはいられなかった。
――プルルル……プルルル……
誰も出るはずがない。
でもその呼び出し音が、遠くで“波の音”と重なって響いている気がした。
撫子:「……行ってくるね、おばあちゃん。」
画面には「通信エラー」と表示された。
でも、それがむしろ「どこかには届いた」ような気がした。
撫子はスマホをそっとしまい、
天狗の差し出した手を取った。

天狗:「今がそのタイミング。波が開いてる。」
撫子は、差し出された手を取った。
その瞬間、空気が揺れた。風が逆流するように吹き抜け、景色がゆらりとにじんでいく。
ざわ……っと音を立てて、周囲の木々が揺れた。
どこからか、淡い花びらのようなものが舞い上がる。
桜……? まだ春には少し早いはずなのに。
祖母の背中。あの日の匂い。あの揺れ。
記憶と現実が、風に乗って、ひとつに重なる。
天狗:「ほら、ちゃんと乗れてる。」
その声だけが、はっきりと響いた。
気づけば、世界が違っていた。
撫子:「ここは…?」
天狗:「奈良――唐古・鍵遺跡。
ここから、君の旅が始まる。」
目の前には、広がる静かな田園と、かすかに浮かぶ古代の輪郭。
高台には復元された楼閣。
その風景の中に、春の兆しがそっと重なっていた。
枝先には、咲きかけの桜。
風に揺れ、ほんのひとひら、空へ舞い上がる。

🌕 そして、空には再び満月が浮かんでいた。
その光が、撫子の手の中の“叶え結び”を照らす。
──私たちの中に眠る“火”が、目を覚ますかもしれない。
🔻 ニギハヤヒ編、火の章 始動。
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